リヒャルト・ゼール
リヒャルト・ゼール(Richard Seel、1854年 - 1922年)は、ドイツ人の建築家。日本で建築設計事務所を開設した。
生涯
ドイツのエルバーフェルト生まれ。建築を学び、1875年ベルリンに出てエンデ・ベックマン事務所に入った。1888年、日本の官庁集中計画をエンデ・ベックマン事務所が引き受けることになり、ゼールが来日した。この計画に基づき、国会議事堂はじめ諸官庁を建設する予定であったが、途中で中止され、実現したのは東京裁判所(最高裁判所)、司法省(1888-1895年、法務省)の庁舎であった。
ゼールはその後も日本に留まり、1896年に横浜で建築設計事務所を開設し、教会堂やミッションスクールの工事を主に手がけた。
1903年に同じドイツ人のゲオルグ・デ・ラランデを日本に招き、自身の建築設計事務所を引き継がせ、ドイツに帰国した。帰国後も劇場建築などを行い、1922年に亡くなった。
作品
- 旧ロシア領事館 (函館市) (函館市、1908年) - 函館市の景観形成指定建築物
- 同志社大学クラーク記念館(京都市、1893年) - 国の重要文化財[1]
- 千葉教会(千葉市、1895年) - 千葉県の有形文化財
- 仙台日本基督教会堂(仙台市、1901年) - 仙台空襲で焼失[2][3]
脚注
[脚注の使い方]
関連項目
- ヘルマン・エンデ(Hermann Ende)
- ウィルヘルム・ベックマン(Wilhelm Boeckmann)